多神教旅行記

中国旅行記9(9):6月25日(1)雲南省・虎跳峡、長江第一湾(by 旅人のくまさんさん)

多神教
<2006年6月25日(日)>

 この日の朝のメモから紹介します。「6:10目覚まし、7:00モーニングコール、8:00麗江へ陸路出発」でした。2泊のシャングリラ滞在が終わり、次の世界文化遺産の街、麗江への出発でした。天候が回復し、絶好の旅行日和となりました。
 途中の景色に見所が多く、シャングリラと麗江の中間地点で、現地ガイドさんが交代されました。チベット族の松さんからナシ族の張さんです。

<陸路、麗江へ>
 シャングリラを発って、麗江までは、やや東に振った南下のコースです。途中の景色や名勝地を見学しながら、雲南省の旅行を楽しみました。最初はシャングリラの郊外、中甸と小甸です。
 この辺りは、のんびりとした田園風景が広がっていました。菜の花畑や、景色のいいポイントで、何度か車を停めて写真撮影や、景色を楽しみました。「失われた地平線」に描かれた平和な理想郷の1つでしょう。
 ガイドの松さんは、シャングリラの意味を。平和は土地だけでなく、心の問題として解説してくれていたようです。2002年にシャングリラ県に改名される前の「中甸」は、チベット語で「心の中の日月」を意味しているとされます。現在、シャングリラ県に住んでいるのは、チベット族が50%以上ですが、その他の8民族とも仲良く平和に暮らしてきた伝統も説明されていたようでした。

<崖を下って虎跳峡見学>
 次の見学地は、シャングリラと麗江の中間辺りの、虎跳峡と呼ばれる景勝地です。両岸から5千mクラスの山が迫って、長江が金沙江という名前に変わり、標高差3千mの崖が流れを狭めている場所が虎跳峡です。流れの一角に虎が踏石にして跳んだといわれのが、名前の由来です。
 その流れを真近に見るには、崖伝いに設えられた長い階段を下ることになります。駕籠を雇って往復することも出来ます。目前にする激流は、とにかく、迫力満点です。
 1990年頃に、この地を訪れた日本人旅行者のホームページを読みましたが、その当時は、「落ちたら、絶対に助かりそうに無い細い山道を、崖にへばりつくようにして進んだ」と紹介されていました。この場所の見学には、地元に宿泊して2日を要したようです。
 今は道路と散策コースが整備されていますが、駐車場は入場制限されています。激流にせり出した桟敷は人数制限がされ、迫力満点です。

<チベット族の松さんから、ナシ族の張さんにガイド交代>
 虎跳峡の見学を終えた後で、近くの集落まで戻り、そこでの昼食となりました。食事の後で、シャングリラのガイドさんの松さんから、麗江からやって来られた張さんと交代されました。
 シャングリラからご一緒の運転手さんは、引き続いて麗江観光もご一緒でしたから、松さんは、長距離バスでシャングリラまで戻られることになりました。言葉が通じなかったのは、残念でしたが、この2日間、本当にお世話様になりました。シャングリラを誇りに想い、西蔵族を誇りに想っての観光案内に、心から拍手をお送りします。理想郷、香格里拉のガイドさんとして、ますますのご活躍をお祈りいたします。再見。

<長江第一湾遠望、村のお葬式>
 松さんはマイクを持ったら熱弁と歌も披露してくれましたが、張さんも熱弁を奮っていました。要約すれば、「ナシ族の女性は働き者で、旦那さんは、仕事をせずに舞踊、楽器などで遊んでいればいいです」といったことでした。
 そんな話をお聞きしている内に「長江第一湾」と呼ばれる景勝地に到着しました。長江が山に阻まれてUターンする場所です。Uターンの状況は、ガイドさんの説明に従って遠望するだけでしたから、余り実感がわきませんでした。それで、絵葉書を買い求めました。空からの撮影です。
 その見学場所は、青空市場にもなっていました。丁度、村の葬式が始まりましたから、そちらの見学が主になりました。ナシ族の祖先は、古代中国の西北部に住んでいた遊牧民族、羌族とされ、独自の文化を伝え、日本の平安時代に存在した、「通い婚」の風習も一部に残っています。

<麗江到着、玉泉公園散策>
 麗江郊外から市内にかけては道路工事中の悪路が続きました。日本では見られない、全幅・全長開削工事といったところでした。ダンプ列が土砂を運び、それをブルドーザーが均していました。
 麗江に到着した後は、荷物は車に置いたまま、徒歩での市内見学となりました、最初に向かったのが玉泉公園、別名、黒龍譚でした。湧き水があり、その水は市内の四方街に引かれています。
 今日は雲に隠れて姿を見ることが出来ませんでしたが、玉龍雪山を臨む絶好のポイントでもあります。穏やかな日には、水面に映った「逆さ玉龍雪山」を見ることもできます。こちらのほうは、絵葉書やインターネットの写真で拝見しました。

<今も使われている象形文字、トンパ文字について>
 トンパ文字研究所訪問の前に、簡単にトンパ文字について説明しておきます。中国雲南省のナシ(納西)族のあいだで、約1000年も前から使われ続けている、世界で最も古い、生きている象形文字が、「トンパ(東巴)文字」です。
 「トンパ」は、そのナシ族の中の、祭司とか歴史を記録する書記官にあたる人達のことを指します。結婚式やお葬式、病気の時のお祓い、占い等を司る人達です。このトンパが、村の人々に神話や説話を話して聞かせるために、トンパ文字でその物語の内容を書き記したのが、起源とされます。その数、千数百種類の文字があるとされます。
 このトンパ文字が、世界に広く知られるようになったのは、つい25年ほど前の1980年頃です。当時、60名の古老によって受け継がれていましたが、その時の古老で、一番若い方でも、78歳になられました。今回、トンパ文字を揮毫して頂いた東巴大師、和丁巴さんです。
 トンパ教は、ナシ族の原始宗教で、太陽、月、星、山、水、風、火などの自然物を崇拝し、万物に霊魂が宿ると信じられていました。多神教の日本神教の考え方にも共通性がありそうです。韓国語も含めて、文法が類似なのも、同じアジアの国として、親近感を感じます。
 唐の時代から、ナシ族とチベット高原の吐蕃とは頻繁に接触があり、トンパ教は、チベットのボン教の影響、および仏教、道教の影響も受けているといわれます。トンパ文字の例を示しておきます。左から「賀正」、「新春」、「松竹梅」を表します。
 *図:記載省略

 宗教儀式同様、今ではこのトンパ文字を読める人間もほとんどいなくなってしまい、トンパ文化研究所を中心に保存活動が行われています。『言語』(大修館)によれば、「表意」「表音」「表意音」の3種類に分類されるようです。この研究所を訪問しましたので、引き続いて説明します。

<トンパ文字研究所訪問>
 少しくどくなりますが、象形文字についても少し説明しておきます。世界最古の象形文字はアルファベットの原点であるヒエログリフとされ、中国最古、漢字の起源である甲骨文字も象形文字です。トンパ文字は、現在も使われている最古の象形文字ともいえます。
 *図:記載省略

 本題に戻って、トンパ文字研究所のことです。最近、日本から国立博物館の館長が見学にみえ、日本文化との共通性の多さに驚かれていたとのエピソードが披露され、その折の写真も紹介されました。
 中央の机に民族衣装の長老が座られ、その場で注文のトンパ文字を揮毫して頂くことになりました。費用の代わりに、200元の寄付の形をとりました。私は、「福如東海」の文字を選択して、エンちゃんの通訳で揮毫をお願いしました。付録をご覧ください。些かでも、トンパ文字の継承と普及にお役に立てばとの思いでした。
 トンパ文字が揮毫されるのは、和紙とそっくりの漉き方をする紙です。「千年は持ちます」と紹介されました。

<疎水沿いに歩いて玉龍花園大酒店へ>
 トンパ文化研究所からは、疎水沿いに歩いて宿泊の玉龍花園大酒店へ向かいました。途中広場に出ましたが、大きな木の水車の横には世界文化遺産の記念碑がありました。ユネスコへの登録は1997年です。その広場には、かつての交易のシンボル、「茶馬古道」の銅像もあります。
 玉龍花園大酒店は、その広場の近くにありました。新市街から旧市街の麗江古城にまたがる、迷路のような造りの広大なホテルでした。泊まったのは、四合院の造りになった2階の部屋でした。

<麗江の夕食>
 ホテルで暫く休憩した後、歩いて入植のお店に出かけました。狭い石畳の路を曲がりくねって、2階に上がったお店でした。この日は鍋料理で、銅製の容器がテーブルの真ん中に据えられました。野菜が主体の、シャブシャブ風の料理でした。
 元々テーブルが少し高かった上、銅製の容器も高くなっていましたから、立食パーティ風の食事風景になってしまいました。この日も、冷えたビールが1卓に本ずつ用意されていましたから、追加注文無しでした。
 この銅製のシャブシャブ用の容器は、中に炭火が入れてあり、食事中、火力の追加が要りませんでした。汁に少し圧力がかかって沸騰させているようでした。空気の薄い高山に適した構造なのかも知れません。

<麗江古城散策>
 夕食の後はホテルへは戻らず、そのまま麗江古城の散策になりました。食事のお店自体も、古城の中にあったためです。
 麗江古城の歴史等を先に紹介しておきます。この一帯に多く棲むナシ族は8世紀、現在の青海省付近から南下してきたと言われています。南下した当時は、磨些詔と呼ばれる小国を建国していましたが、西蔵、中国、雲南の少数民族の影響を受け、麗江に独自の景観を作り上げました。これが、現在に残る旧市街です。
 麗江の旧市街の建築物は、ほとんどが木造です。仏教や道教の仏像もあり、少数民族によって書かれた麗江壁画も残っています。南宋時代の土司、木(ムー)氏による城も残っていましたが、残念ながら1996年に起きた地震で崩壊しました。
 城壁がない古城としても、他に例をみないとされます。青黒い、つるつるした石畳で出来た狭い路地が迷路のように続き、道路沿いには、民家や商店が並び、各家の前には水路が流れます。その畔には柳の木が植えられ、数百年前と変わらない風情を、今に残します。
 「四方街」は以前の都の中心で、かつて交易の中心地でした。今でも「茶馬古道」と呼ばれる、それぞれ違う方向へ向かう道が、四方八方に伸びています。散策もよし、民芸品等の買い物もまたよしの観光街です。

<歌合戦、ヤーヤッショー>
 シャングリラのガイドの松さんに教えて貰った掛け声が、ここでも役に立ちました。「ヤッショー・ヤッショー・ヤーヤッショー」の掛け声です。お店の前には民族衣装の娘さん達が声を合わせて歌い、そのお終いには、必ず、掛け声が入りました。
孫濱先生にご馳走になった赤ワインを飲みながら、麗江の夜の歌合戦を満喫しました。


  玉龍公園で
 雨止て暑き日差は戻れども雪山隠す雲は晴れなん

  トンパ文字研究所で
 象形の文字は懐し古の人の語い今聞く如し

  麗江古城で
 麗江の古城に衣装の花咲揃い歌合戦の夜は更行く

【旅行時期】2006/06/22~2006/06/28
【エリア】雲南省
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】旅人のくまさん

かまどの神様を祭ったヴェスタの神殿(by 気まぐれJACKさん)

多神教
ローマ時代の宗教は多神教
日本のよろずの神様と同じで
数百いたともいわれる。
ヴェスタの神様は釜戸の神様!
ローマ市民の家には必ずヴェスタの神を祭る
釜戸があり、そこには燃える炭が供えられていた。
ヴェスタの神は一家の守護神!
釜戸の火はそのシンボル。
その日を絶やさないようにするのが
一家の主の仕事!
万一その灯が絶えると一家の死滅を予言するものだった!

その元締めが、この神殿!
ローマの安全を守っていた。

この神殿は2代目の王様ヌマ
4世紀後半に帝国を東西に分割した
テオドシウス帝が閉鎖するまで
1000年近くもこの神殿の火は絶えず燃えていた・・・
ことになっている
実際は何度か消えているらしい・・・


【旅行時期】2008/05/15~2008/06/14
【エリア】ローマ
【テーマ】
【投稿者】気まぐれJACK

バールベック遺跡(by 早島 潮さん)

多神教
平成20年2月17日(日)

 アンジャル遺跡を後にしバールベック遺跡目指してバスで北上した。
 バールベック遺跡に近づくにつれ路線の中央分離帯に黄色い旗と黒い旗が掲げられているのが頻繁に目につくようになる。黄色い旗はヒズボラの拠点であることを示しており、黒い旗はシーア派の多い地域であることを誇示しているのである。また男の顔写真も掲げられている。これは内戦で戦死した戦闘員の写真だ。

 また暗殺されたハリーリ元首相と現大統領の顔写真も道路周辺の建物に数多く掲げられているのもイスラム国特有の現象である。

 やがて妊婦の石と呼ばれる巨大な石が切り出されないままに露出している石切り場へ到着した。左手前方にはバールベック遺跡が小さく見えている。

 遺跡へ行くには町中の道路を通過しなければならないが細い道なので路上駐車している車が邪魔になって大型バスは通過できなくてたちまち渋滞が発生する。

店の人達が出てきて駐車している運転手を探し出し移動させてくれ何とか通過できたが、時間を浪費してしまった。

渋滞している車の中に日本ではとても運行が許可されないような整備不良の旧式な車が混在していた。

 バールベックは「平原のバール」を意味するアラビア語であり、古代からパレスチナの豊穣神バール礼拝の中心地であった。
 ギリシャ人はこの地にヘリオポリス(太陽の都市)を建設し土着のバール信仰とギリシャの多神教の神々を融合した。BC16年ローマ皇帝アウグストウスはこの地を植民地とした。

その後歴代の皇帝はジュピター神殿、バッカス神殿、ビーナス神殿等を200年以上の歳月を費やして建設し、華麗で繊細なローマ様式の装飾を施した。  

 4世紀にキリスト教がローマの国教になるとバール神は異教とみなされここには教会が建てられた。

 イスラム時代にはローマ神殿は城砦に模様変えされた。その後バールベックは衰亡の道を辿り、1579年の大地震により廃墟になった。発掘は19世紀半ばであった。                                        ここでは六角形の前庭と大庭、ジュピター神殿、バッカス神殿、ビーナス神殿跡を見学した。施された装飾の中に明らかに途中で製作を中断したと推定できる部分があり何らかの政治的な事情があったものだろうと興味をそそられた。

【旅行時期】2008/02/17~2008/02/17
【エリア】バールベック
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】早島 潮

ネパール・早春紀行  ~遥かなるヒマラヤ~ <総集編>(by 宇鈍児さん)

多神教
2007年の11月下旬にヒマラヤを見たくなりネパールへ行って来ました。 ネパールは標高1000m以上の高地にあるので11月下旬にもなると相当寒いだろうと思っていた事前の予想とは逆に渓谷の農村では山桜が咲き、段々畑は菜の花で黄色の絨毯が敷き詰められたようになっていました。
 聞くところによるとネパールは標高3000mのトレッキングエリアに行かない限り寒くはなく、温暖な亜熱帯の気候らしいです。 だからフルーツが豊富でバナナをはじめ ブドウ、ライチ、いちご、パパイヤ、グアバ それにマンゴーなどもあり果物屋の店だけでなく屋台や自転車の荷台に載せて売っているのをよく見かけます。 ただ首都のカトマンズにしても標高約1400mの高地にあるため1日の中の気温差が大きく、昼間は暖かくても、朝夕は冷え込みます。 日本で言えば日中は5月、朝夕は3月に相当するでしょうか。 それにしてもネパールの人は寒さには強いのか日中とは言え屋外で小さな子供が水浴びをしていたり、歌麿の浮世絵よろしく女性が髪を洗っているのをよく見かけます。
 ただ最近のニュースではヒマラヤの氷河が溶けて出来た氷河湖が地球温暖化の影響で融解の速度が加速し、決壊による洪水の危険性が増しているそうです。ヒマラヤの麓にはチベット(中国の自治区)やブータン、インドそしてネパールと言った国がありそこには9000を越える氷河湖があって、そのうちの2000個がネパールにあります。 その中でもエベレスト(8850m)の南10kmのくぼ地に出来たイムジャ湖(標高5010m)が最も決壊の危険性が高く、もし決壊すれば下流の渓谷にある村は天から豪雨が降ってくる滝のような水によって破壊されると言われています。 現在では約200の氷河湖が決壊の恐れがあり、3年に1回、ヒマラヤのどこかで決壊していて、最近でもブータンで決壊が起こっています。 先進国が豊かで贅沢な生活をしている結果の環境破壊が何の関係もないこうした貧しい(物質的にであって精神的には豊かな)国の暮らしや生命を脅かしていると思うとやるせない思いになります。
 
 それはそうとネパールはヒンドゥー教を国教としている世界で唯一の国で、国民の約87%がヒンドゥー教徒です。 ヒンドゥー教はもともとインドから入ってきた宗教なので、南部のインド系の民族を中心に広く信仰されています。 ヒンドゥー教は多神教ですがそのうちの1つがシヴァでナンディといわれる牝牛を乗り物にしています。 そのためヒンドゥー教徒は「聖牛」の肉である牛肉を食べないどころかネパールでは牛を殺すと死刑になります。 それで首都カトマンズでは車は牛に衝突しないように気をつかわなければならないし、歩道に寝そべっている牛を避けて人が歩くことになります。
 ネパールは36以上の民族が存在する多民族国家ですが大きくは南部のインド系の民族と、もう1つは北部の山岳地帯(トレッキング道で見かける村)に集中して住んでいるチベット系民族です。 後者のチベット系民族(カトマンズ盆地を中心に住むネワール族)の人達はヒンドゥー教と仏教が一体となったネパール仏教を信仰しています。 ネパールでマニ車を回しているのをよく見かけますが、このマニ車の中にはお経が入っていて1回まわすと1回お経を唱えたことになるという非常に便利?なものです。 又仏教の寺や仏塔の周囲をまわるときは常に時計回りに右肩を向けるのが尊敬の印とされています。流れに逆行しないよう注意したいものです。
 海外へ行く時には私はいつも最低その国の2つの言葉だけは覚えていくことにしています。 その2つとは日本語で言えば「おはよう」とか「こんにちは」といった挨拶の言葉と「有難う」というお礼、感謝の言葉です。中国語では「ニーハオ」と「シェーシェー」という具合に2つの言葉を覚えて行きますが、ネパールではこれに代わる言葉として「ナマステ」という1つの言葉で済ますことができます。 感謝の気持ちを表す時には胸の前で両手を合わせて言いましょう。(確かインドでもこの言葉が使われているようですが) ただ50種類近くの言語が話されている国ですから相手によってはいつも通用するとは限りません。
 又ネパールの水道、電力事情ですが、ネパールでは水道はありません。 氷河や雪の溶けた水を集め街や村の至る所にある水場まで水を引いているようです。 人々はその水場まで1日使用する水を汲みに行ったり、そこで髪を洗ったり身を清めたりしています。 
 又ネパールの電力事情も余りよくありません。 氷河湖の水は豊富にも拘わらず資金不足で人工的な発電ダムの開発が少なく、よく停電になります。 だから旅行中懐中電灯の携帯は必須となります。 夕食をとりながらネパールの伝統舞踊を見るためにレストランに行ったときにも店に入る直前に停電になり、真っ暗な中、蝋燭の火を頼りに席につき、蝋燭の明かりで食事をしながら舞踊を見る破目になりました。 途中で電気が灯った時には本当にホッとしたものです。

「魅惑の(旅)写真館」のHPアドレスは
   
  • http://udonji.com/

  • です。

     
      第1部はネパールの首都で1979年ユネスコの世界文化遺産に指定された古都カトマンズです。 標高1300mにあるカトマンズ盆地は沖縄と同じ緯度にあるので年中気候は温暖で、カトマンズ、パタン、バクタプル(バドガオン)の3郡で構成されています。 この3郡にはそれぞれダルバール広場(ダルバールとは「宮廷」という意味)があり、その周囲には旧王宮や広場の近くには庶民のバザールなどがあります。
     カトマンズのダルバール広場にはクマリの館があり今でも生き神の少女が住んでいます。 少女はネワール・サキャ族の由緒正しい家の出身の少女の中から選ばれます。(選ばれる32の条件:身体の全ての部分・・・目、口、耳、顔、動作、歩き方等など・・・が健康で、 手は軟らかく繊細、ライオンのような胸、ほら貝のような頬、青又は黒色の目、牛のようなまつげ、すずめのような低い声、この他に強い意志、何事にも怖がらないなど心理的要素も加味して全てに合致する必要があります。) 選ばれた少女は親元を離れクマリの館に住み、神としての修行をすることになります。 学校には行かず祭事の時以外は外に出ることも出来ません。 団体で訪れ、いくらかお布施をすれば運がよければ2階の窓から顔を見せてくれますが写真を撮ることはできません。
     スワヤンブナート(ネパール仏教の寺院)は町から2kmほど離れたところにあり町を見下ろすように建っています。 約2,000年の歴史を誇るここの仏塔は、ネパールで最も古く世界で最も壮麗な仏塔の一つとされ、四面についた目は森羅万象を見通す仏陀の目とされています。 また、万国旗のようにはためく小布はタルチョーと呼ばれ、経文が刷られていて黄(大地)、緑(水)、赤(赤)、白(風)、青(大地)の五色からなり大宇宙を表しています。
     インドラチョークはマチェンドラナート寺院の近くにある旧市街の中心地で中世の街並みがそのまま残っています。 

     エベレストは別名 チベット名:チョモランマ(「大地の母又は世界の女神」という意味) ネパール名:サガルマータ(「宇宙の頭」という意味)と言われ、標高は1999年5月までは8848メートルとされていましたが現在は8850メートル(29035フィート)に修正されています。 バンコックやソウルからカトマンズに来る時には飛行機の右窓側に席をとれば天気がよく運がよければ着陸態勢に入る少し前にその姿を見ることが出来ます。 又遊覧飛行(20人乗り程度の双発のプロペラ機)で写真を撮る時には一番前の座席に座るのがベストです。 エベレストが近ずくと前席の人から順次、操縦室の前方窓から撮影させて貰えますが後ろにいると順番が来た時にはエベレストは遥か後ろに遠ざかってしまっていたということにもなりかねません。 もちろん汚れていないで翼が邪魔にならなければ座席横の窓からも撮影は可能ですが。

     第1部の構成は    (仁川空港→トリブヴァン空港) ⇒ トリブヴァン国際空港 ⇒ ホテル「アンナプルナ」&界隈 ⇒ カトマンズ市街 ⇒ スワヤンブナート寺院 ⇒ ヒマラヤ遊覧飛行 ⇒ ダルバール広場 ⇒ インドラ チョーク ⇒ ネパール伝統舞踊 で104枚のスライドショーです。






  • http://udonji.com/



  •   第2部はナガルコット及びバクタプル(バドガオン)です。 ナガルコットはカトマンズ盆地にあり首都カトマンズの約32km北東に位置していて、2,175mの高さにあります。 周りはヒマラヤの山々に囲まれており朝日を見るのには最高のロケーションで、特にジュガール、ロールワリン、クーンブ山群や日本人にはお馴染みのマナスル主峰(8163m)を擁するマナスル山群の展望が広がります。
     又ここの農村地帯は11月にも拘わらず気候が温暖なせいか丘稜には山桜が咲き、段々畑には真黄色な菜の花で埋め尽くされています。 ネパールの国土は日本の1/3程度でしかも殆どが厳しい山岳地帯であるため傾斜の強い丘稜を削って段々畑にして耕作しています。 それを飛行機など上空から見れば日本や中国(元陽)等の棚田と比べても規模も大きく又異なる紋様の美しさがあります。

     バクタプル(別名「バドガオン(信仰の町の意)」)は889年にアナンダ・デヴ王によって築かれ、その後12世紀~18世紀の間、首都のひとつとして栄えてきました。 カトマンズやパタン同様カトマンズ盆地内の代表的な古都で、ネワール族の町の中ではこのバクタプルが一番中世の町並みを残しているそうです。
     カトマンズが騒々しいのに対して田園地帯の小高い丘の上にあるのんびりとした非常に静かな街です。 1934年の大地震で、数多くの寺院や僧院、民家が被害を受けましたが、今では復興が進み世界に誇るネワール族のすばらしい建築物や彫刻そして赤レンガ造りの町並みが私たちを中世の世界へと誘ってくれます。
     ダルバール広場(旧王宮前にある広場)では旧王宮・寺院を中心にすばらしいネワール建築の数々を見ることができます。 カトマンズやパタンにもダルバール広場がありますがバクタプルのものが一番美しいとされています。 又ゴールデンゲートの前には石柱の上に乗ったブパティンドラ・マッラ王(在位1696~l722年)がお祈りをしている像があります。 このマッラ王の像はネパールの中でも最もすばらしい像とされています。
     トゥマディー広場では、ネパール最大の五重の塔ニャタポラ寺院がひときわ目を引きます。「ニャタポラ」とは、「五重の屋根」という意味で、この寺院は5段の基壇と五層の塔で成り立っていますが1934年の大地震の際にも、この寺院は最小限の被害にとどまったため建築技術の高さが評価されています。
     ネパールには鉄道がない為、カトマンズ盆地内の移動は車になりますがそうでない盆地外に移動する時には山岳の道が嶮しいので一般の旅行客は飛行機に頼らざるを得ません。 飛行機は遊覧飛行と同じく20人乗り程度の双発のプロペラ機で風が強いと弱くなるまで出発が延期されます。 今回のツアーではネパールに入るまでの国際線でソウル経由の大韓航空利用により往復4回、ネパール内移動の国内線(遊覧飛行も含めて)で5回ということで飛行機には計9回乗ることになりました。 ということで私の飛行機嫌いも短期間にこれだけ乗れば殆ど解消された感じです。

     第2部の構成は 
       (カトマンズ→ナガルコット) ⇒ クラブ「ヒマラヤ」&界隈 ⇒ クラブ ヒマラヤより望む ⇒ (ナガルコット→バクタプル) ⇒ バクタプル市街 ⇒ ダルバール広場 ⇒ トゥマディー広場 ⇒ (バクタプル→カトマンズ) ⇒ (カトマンズ空港→ポカラ空港) で104枚のスライドショーです。

    「魅惑の(旅)写真館」のHPアドレスは
       
  • http://udonji.com/

  • です。


     第3部はポカラです。
     ポカラはカトマンズより西へ200kmのところにありアンナプルナを望む町です。
     「ポカラ」はネパール語の「ポカリ」(湖)という言葉から来ていて、ここにはアンナプルナの氷河を水源とするペワ湖、ベグナス湖、ルパ湖などの美しい湖があります。 標高が827mとカトマンズに比べて低地にあり気候も温暖です。 近くにはアンナプルナの8,000m級の山々がそびえていて街のどこからでも素晴らしい景観を望むことが出来ます。 例えばペワ湖からマチャプチャレ【6,993m】まではわずか28kmでその間には他に山はありません。 低地にいながら眼前にヒマラヤの山々を見ることの出来るこの湖周辺はリゾート地としても有名です。
     もともとポカラはインドとチベットの間を結ぶ交易路の重要な町として栄え、現在も車の出入りが困難な山奥にはポニー(ロバ)が物資を積んで運搬しています。
     マチャプチャレ(6993m)はアンナプルナの前衛となる山で聖なる山とされているため現在も未踏峰で、ネパール語で「魚の尾」を意味します。
     サランコットの丘は標高1592mの緩やかな丘で頂上の展望台からはマチャプチャレやアンナプルナ山群を望むことが出来ます。 朝4時45分のモーニングコールの時には既に準備万端を整え終え、5時15分の集合前に朝食の弁当を受け取って車で日の出鑑賞のための第1展望台へ。 日の出は6時40分頃、既に地元の学生ら大勢の人が日の出を見ようと陣取っていました。 雲海の中、日が差し込んでくると標高6993mのマチャプチャレが色ずき始めます。 感動の一瞬でした。 その後、途中朝食の弁当を食べながら頂上の展望台まで1時間ほどのハイキングです。 頂上展望台でマチャプチャレやアンナプルナ山群を撮影して下山しました。 
     ペワ湖はネパールで2番目に大きな湖で、湖の真ん中には小さな島がありバラヒ寺院があります。 又湖の東側はバイダムといわれるレイクサイドで人気のツーリストエリアになっています。 近くにはパタレ・チャンゴがあります。
     パタレ・チャンゴとは「地獄の滝」という意味で、昔トレッキングに来ていたスイス人のデヴィッドという人がここの川に流されて行方不明になってしまったために「デヴィズ・フォール」とも呼ばれています。 ペワ湖から地中を流れて来た川の水が岩壁の穴から滝となって流れ落ちているとのことですが、見た目には小さな滝で余り感動はありませんでした。
     ポカラのオールドバザールはカトマンズとは異なり山地の民族をはじめとしたいろいろな民族が衣類、化粧品、食料品、家具などを買うのに集まって来ます。ネパール人の暮らしぶりがよく分かるところです。

     第3部の構成は 
       ポカラ市街 ⇒ ホテル「フルバリ リゾート」 ⇒ ホテルより望む ⇒ サランコットの丘 ⇒ ペワ湖ボートクルーズ ⇒ オールド・バザール ⇒ (ポカラ空港→ジョムソン空港)  で103枚のスライドショーです。







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  • 第4部はジョムソンとパタンです。
     ジョムソン地域に入るには事前に入域許可の申請取得が必要です。ポカラからは20人乗り位の双発のプロペラ機で行きますが、出発は天候に左右されるので行く時には季節を選んで行くようにしましょう。 ジョムソン地域は標高2700mありトレッキングの拠点になっているところですが朝は10時頃から非常に強い南風が吹きます(ジョムソンには風力発電があります)。 往きは午後の到着だったので無事に定刻通りに到着しましたが復りは朝だったために2~3時間出発が遅れました。
     空港のあるニュージョムソンからホテルまでは普通は歩いて行きますが荷物を運ぶトラクターが一緒だったのでそれに乗せてもらいました。 ここはカトマンズより電力事情が悪くホテルには冷暖房がなくしかも2700mの高地にあるため夜はぐっと冷え込みます。従って夜寝る時には各寝室には湯たんぽが用意されます。
     日本から持ってきたワールド・クッカーでお湯を沸かそうとすればスイッチを入れて数秒で電気が切れてしまいクッカーが壊れてしまったのかと思いましたが、カトマンズに戻って使った時には正常に動作しました。 恐らくジョムソンでは電圧が低かったので正常に動作しなかったのでしょう。
     ホテルの「ジョムソン・マウンテンリゾート」からはダウラギリ(8167m)やニルギリ山群(主峰7061m)を眼前に見ることが出来ます。 ダウラギリ(「白い山」の意)は、ダウラギリ山群の主峰で世界で7番目に高い山です。1960年5月13日にスイス・オーストリアの登山隊によって初登頂されました。
     マルファ村へはポニーに乗って行きましたが途中一本道の狭い道を進んでいる時に頭上から勢いよくこぶし大の石が眼前5cmに落ちてきました。 道の右側が急な崖になっており崖の上数十mのところで崖にへばりついた羊たちが足で石を崖下に向けて蹴っていたのでした。 間一髪カスメタだけで被害はなかったものの運悪く頭や顔に当たっていたらと思うとゾッとします。 マルファ村はりんごの栽培が有名で、特産品はりんごのブランデーということですが、工場と言っても農家の家屋で全くの手工業で作られていました。 180mlのボトルで50~60円とすごく安いのですが独特の風味があり私には今ひとつの感じでした。 村自体は両側の石造りの白壁を縫うように細い石畳の道が続きとても雰囲気があるとともに純朴で人なつこい人々の笑顔が我々日本人にとっていつかどこかに置き忘れてきたものを思い起させてくれます。 又この村には河口慧海(1866-1945:堺出身)記念館があります。 彼はチベット語約の大蔵経(一切経)を入手するため単身徒歩でヒマラヤ山脈を越え鎖国化のチベットに潜入するなど17年間のチベット行の結果念願を果たします。 記念館になっている建屋には今も彼の子孫が暮らしています。

     パタンはカトマンズ盆地にある3郡の1つでカトマンズの南にあり、ネワール文化の華開いたマッラ王国が栄えた時代には首都だったところです。3郡の中では最も古く299年にアショーカ王によって作られました。 別名をラリトプル(「美の都」の意)といい、その名の通り大変美しい町です。 住民の殆どが彫刻や絵画などに優れたネワール族で、金銀細工、木彫り、絵画など工芸の街として有名です。
     ダルバール広場は旧王宮前にある広場で、建物が石畳の路をはさんで軒を接するほどびっしりと建てられています。
     クンベシュワール寺院は1932年に建てられたパゴダ様式のシヴァ寺院です。当初は2層の屋根でしたが17世紀に現在のような5重の塔になりました。 又境内の入り口には聖なる湖ゴサインクンドから流れてきた水場があり、ここの水で身を清めると、ゴサインクンドへ巡礼したのと同じご利益があるといわれています。
     ネパールで気付いたことですが、子供たちの影には母親がいて子供たちにキャンデイなどをやればたちまち母親にそれを渡し親がそれを食べてしまうという光景に何度か遭遇しました。 小さな子供にキャンデイをやれば虫歯になるという事でカンボジアなどでは注意されるようですがここでも同じ理由からかどうかは不明です。 水場で6~7歳の男の子が4~5歳の妹らしい子に水場で汲んだ水を飲ませているところを旅行者に写真に撮らせ、金銭を貰い母親に渡しているのを目撃してしまいました。 中国や途上国では土産物を子供に売らせたりするのをよく見かけたりしますがそれと同じなんでしょうか。
     
     第4部の構成は 
       ニュージョムソン ⇒ ホテル「ジョムソン・マウンテンリゾート」 ⇒ ホテルより望む ⇒ マルファ村への道(ポニーに乗って) ⇒ マルファ村 ⇒ (ジョムソン空港→ポカラ空港→カトマンズ空港) ⇒ パタン市街 ⇒ ダルバール広場 で106枚のスライドショーです。

    「魅惑の(旅)写真館」のHPアドレスは
       
  • http://udonji.com/

  • です。

    【旅行時期】2007/11/22~2007/11/29
    【エリア】ネパール
    【テーマ】ハイキング・登山
    【投稿者】宇鈍児

    極北の地! グリーンランドとアイスランドの旅 33・・旅いつまでも・・(by noriさん)

    多神教
    【ゴーザフォス】・・
    紀元1000年、アイスランドがキリスト教に改宗することになり、ヴァイキングの多神教の偶像などをこの滝に投げ込んだため「神の滝」と名付けられた。広大な溶岩台地から満々と水をたたえた大河が轟音と水煙を上げながら流れ落ちる様は凄い!滝の高さはそんなにないが幅は広い。特にこの滝の水は透きとおった深みのあるブルーで他の滝には感じなかった美しさがあった。


    詳細は
  • http://yoshiokan.5.pro.tok2.com/

  • 旅いつまでも・・★画像旅行記

    をご覧ください。

    【旅行時期】2007/06/19~2007/06/30
    【エリア】その他の観光地
    【テーマ】大自然・動物
    【投稿者】nori

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