ローマ人旅行記

チュニジア周遊12日間?(by chicorinさん)

ローマ人
チュニジア周遊12日間?
いよいよ最終章!

旅行会社:J○B旅物語
旅行代金:159,000円
燃油サーチャージ、空港税等:25,300円
航空会社:カタール航空 ドーハ経由
参加人数:20名

☆行きの飛行機が欠航となり、始めはどうなることやらと思ったが来てよかった、チュニジア旅行。
 写真はカルタゴ遺跡、アントニヌスの共同浴場跡。なんで共同浴場がこんなに大きいんだ〜〜!?古代ローマ人の風呂好きがうかがえる。

【旅行時期】2008/02/21~2008/03/03
【エリア】カルタゴ
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】chicorin

スペイン北部・ポルトガル旅行(3)/ア・コルーニャ(by ギリシャ/スケッチ旅さん)

ローマ人
 ア・コルーニャ(ガリシア州)はスペインの北西部先端、カンタブリア海と大西洋のぶつかる所に位置し、二つの海の恩恵にあずかって海産物は大変豊富です。また海岸線は切り立った断崖と「リアス」と名の付いた多くの入り江があり、リアス式海岸というのはここの地名から言われるようになりました。

 この地には先ローマ時代から人間が住んでいて、ローマ人は港を作り、燈台エルクレスの塔を建てました。また立地場所から周りの国々からの戦争に巻き込まれる歴史も多くあった。

 以前に来たときには街の中心地を見るだけに終わってしまったので、今回はもっと幅広く知ろうとやって来た。美味しい海の幸を味わおうという下心もあった。ア・コルーニャはスペインリーグサッカー・クラブ本拠地でも有名。(人口:約25万)

なお地名の「ア・コルーニャ」は地元のガリシア語で、スペイン語の「ラ・コルーニャ」も良く使われる。

【旅行時期】2007/10/05~2007/10/07
【エリア】ガリーシア地方
【テーマ】
【投稿者】ギリシャ/スケッチ旅

'02 シチリア島と南イタリア周遊〜(6)ポンペイ(by ニコイチさん)

ローマ人
カプリを出て次なる目的地は古代都市ポンペイの遺跡。
2000年も前のヴェスーヴィオ火山の噴火により
火山灰の下に埋もれてしまった町です。

ローマ人の別荘地として栄え、その人口は2万人にも及んだとか。
繁栄を極めたこの町は火山の大噴火で死の町と化し、
灰に埋もれて歴史からも消え去ってしまいました。
遺跡の様子を見ると当時の人々の豊かな暮らしを垣間見ることが
できます。
また、亡くなった人の石膏の型を見ると苦しかった死の様子と
火山の大噴火の恐ろしさも伝わってきました。

【旅行時期】2002/04/21~2002/05/01
【エリア】ポンペイ
【テーマ】
【投稿者】ニコイチ

イギリス旅行記(4):5月22日:バース・電車でバースへ、ストーンヘンジ(by 旅人のくまさんさん)

ローマ人
<1998年5月22日(金)晴>

<バースの町へ>
 昨日の約束で、今日も5人組でロンドンから西へ離れたバースの街と、ストーンヘンジを見学に出掛けることにしました。
 最初に訪れたのは、約2千年前にローマ人によって造られた大浴場、バースの遺跡です。バースは、その名の通りお風呂のことであり、バスの語源です。発掘された浴場からは、今もこんこんと沢山のお湯が湧き出していました。手を入れると、そのまま入っても十分な温度に感じられました。
 地下鉄で、ロンドン中心部から西に外れたパディントン駅まで行き、そこからはディーゼル車に乗りました。街を離れると広大な牧草地が続き、のんびりと草を食んでいる牛、馬、羊に群を至る所で見ることができました。この風景も見どころの一つでした。緑が輝き、木々は花を付け、おそらく1年で一番素晴らしい季節なのかもしれません。
 日本で言えば旧国鉄に相当するのでしょうか、イギリスの鉄道は誠に不親切極まりありません。パディントン駅でバース行の電車に乗る時、さんざん苦労しました。一度経験してしまえば、何のことはありませんが、最初は列車案内が大変に分かり難いのに苦労しました。
 それに、インフォーメーションが不親切ときています。乗ったのは急行か特急電車クラスでしたが、買った切符は座席番号のところが空欄になっていました。各自で機械に通して、ボーディングをするらしい。30分に1本の電車を、2本乗り過ごしてしまいました。
 そんな一寸したトラブルも、田園風景を眺めていると、なんでもないことに思えてくるから不思議です。途中3つの駅に停り、バースへは1時間と少しで着きました。

<バースの町>
 バースは浴場遺跡そのものも素晴らしかったですが、途中の家並みも素晴らしいものでした。18世紀にジョージ王朝様式と言われる石造りは、黄色から橙色にかけての独特の風合いを持っていました。「付近で産出する石を使った」と解説書には出ていました。
 時間が許せばゆっくりと散歩してみたい街並みでしたが、次の予定地ストーンヘンジ見学があるので、惜しみながらこの地を後にしました。

<ストーンヘンジ>
 ストーンヘンジへは、普通電車でソールズベリ駅まで行き、そこからはタクシーを使いました。電車は15時半頃で終わっていて、タクシー以外にアクセスはありませんでした。最初は2台で合計60ポンドと言われましたが、結局5人が乗れる大型タクシーを頼んで、30ポンドで済みました。最初の半額です。
 100km近いスピードで飛ばし、15分ほどでストーンヘンジへ着きました。運転手さんとは、最初から往復30分、見学30分合計1時間の約束でした。
 ストーンヘンジは見る価値がありました。写真だけではその質感、まわりの景色を含めた本当の光景は浮かんでこないものです。その典型的な例でした。
 それぞれ国のガイドのテープを、無料で貸してくれました。日本語のガイドもあり、なかなか親切な解説でした。ストーンヘンジ建設の謎は、今でも完全には解き明かされていないようでした。石の配置は、太陽の動きに関係している説に共感を覚えました。もし、そうであるとするなら、回りになんの障害物もないこの一帯は、正に最適地のように思えたからです。    

<諦めたウィンザー城見学>
 ロンドンから近郊へのアクセスは便利なのに、その逆コースは大変に不便なようです。ソールズベリからウィンザー城への最短コースは、電車3回乗り換えでした。1回乗り換えでも、ウィンザー城へ行くことが出来るコースはありますが、はなはだ回り道です。回り道というより、約反分折り返してくるような経路です。
 この駅でも、例のイギリス国鉄方式で、騙されてしまいました。乗車は2番ホームと表示してあったし、そのように聞いていました。しかし、気がついたときは、肝心の列車は、3番ホームから出てしまっていました。日本から来た他の旅行客も騙されて、取り残されてしまいました。なんとも難しい電車の乗り方でした。
 乗りそこなった電車と同じ行き先の電車に乗って、更に3回乗り換えて無事にウィンザー城へ着くのは、下調べ無しでは、至難のわざと思われました。それで、みんなで相談して、今回は諦めることにしました。
 次にやってきた電車は、ロンドンまでは乗り換えなしでいい電車でした。しかし、念のため、そのことをはっきりと駅員さんに確認しました。終点駅ですから、今度は間違いがありませんでした。
 電車に悩まされ続けた一日でしたが、こんな経験を積み重ねなければ、旅上手にはなれないのでしょう。決してガイドブックだけでは理解できないものがあります。体験の範疇になるのでしょう。

<仕方なくホテルでの夕食>
 夜は投宿のホテルで夕食を摂りました。昼間の強行軍で少し草臥れていましたので、美味しい店を探すのが億劫だったせいもありました。ワインはフランス製であることを確認していましたので、赤のフルボトルを注文しました。
 1994年製のこのワインは8ポンド、日本円で2千円弱でした。日本でのワインの値段の感覚でいえば、かなりお値打ちでした。日本のワイン専門店で買い求めれば、2千円クラスと言ったところでした。お店で飲めば、5千円クラスといったところでしょう。
 赤ワインに合わせてステーキの小さいサイズのものを注文しましたが、こちらは余りいただけませんでした。味付けもそうでしたが、やはり固い肉でした。注文する時、「スモール プリーズ」で頼みましたが、愛想のいいコックさんは、盛んに「ビッグサイズ」を勧めてくれました。スモールでも結構な量がありましたので、断っておいて助かりました。
 コックさんは、親切で勧めてくれたと言うより、半分以上は冗談で、半ばは、仕事を楽しみながら、からかってみたといった感じでした。それで、こちらも、断るときの仕草が、つい、大袈裟になってしまいました。この遣り取りを見て、周りの人も笑ってくれました。これも一つの会話だったようです。ステーキはいただけませんでしたが、フランス産の赤ワインがそれを補ってくれました。


  バースへ向かう車中にて
 草を食む羊は一群囲にて刈られし前の毛に包れぬ

 名も知ぬ木々は真白き花を付け雪降る如く今盛なり

 牧草の畑は遠くへ続たり遮もの無き遙な丘へ

 草を食む牛馬羊眺つつ何時しか時を忘るる旅路

 菜花は僅に黄色を残したり輝を増すその実の先に

  バースの遺跡にて
 二千年経て今尚湧出る手を浸したり熱きその湯に

 この地にて産出したる石をもて造し家並は幾百年ぞ

 この国に地震は無きか煉瓦積む古き家並に傷跡を見ず

 高き塔聳ゆる教会薄暗く光を注ぐステンドグラス

  ストーンヘンジにて
 新緑の小高き丘に立てる石背中に負ぬ四千年を

 山の石海を運びてこの丘に三度造りしストーンヘンジ

 トンネルを潜りて丘に続く路白と黄色の小さき小花

 人は皆ヘッドホーンに耳寄て古代の謎に思索をしたり

 費やせる知恵と力は底知れず後に伝ゆる泉となりぬ

 地に生える歯とも例えし大石は四千年を束の間とする

【旅行時期】1998/05/20~1998/05/25
【エリア】バース
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】旅人のくまさん

イングランド【ロンドン 〜 バラ・マーケット】(by edamameさん)

ローマ人
いくつものマーケットが立つロンドンにおいて、観光客のみならず住人の評判も高いのがここ、バラ・マーケット(Borough Market)。マーケットの起源は、ローマ人がやってきた1世紀ごろにまで遡るようです。各種食材からB級グルメまで充実しており、いつも賑やかな場所です。場所はテムズ川沿いの高架下、ロンドン・ブリッジ(London Bridge)駅から目と鼻の先です。

【旅行時期】2008/12/31~2008/12/31
【エリア】ロンドン
【テーマ】グルメ
【投稿者】edamame

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